台湾生活のはじめに
(前回の記事から4年が経過…!初めての赤ちゃんと過ごした敏感期が懐かしい。Facebookへのポストを転記)
8月から夫の赴任について台湾の新竹というところに住んでいます。9ヶ月間、台湾と日本で夫と離れて暮らしてみて、やはりいまは家族一緒がいいなと思ったのと、あともう少しだけ、子育てにゆっくり向き合いたいと思ったので、着いていくことにしました。
10ヶ月間の宇佐美生活では、2歳児と4歳児の子育てと大きすぎた庭仕事に追われつつ、離れを保養所にする下準備もぼちぼちしていました。父不在の生活は、体力的にも精神的にもなかなか大変で、ひとりで育てている方の苦労が100分の1くらいはわかったかな、、暖かい友だちや周りの助けでなんとかやれてました。
昨年アメリカから帰ってきてからはありがたいことにいろいろなお仕事のご縁をいただき、はじまりそうになったり、且つ日本の同世代の仕事、活躍もよく見えるようになったりして、やりたい気持ちとできないもどかしさに焦りもしました。
でも、やっぱり今はストップすることにしました。
私はいま現在は自分で稼がず、サラリーマンの夫の稼ぎで生きています。
専業主婦です。
強いて付け足すならば、子育てと、家事をはじめとする生活を、なるべく自分のまわりで、自分の手足ですることを心がけながら、日々やりくりしています。
お金をそんなに心配しないでいいことは本当にありがたいことなのだけど、働く女性が多い現代ではなかなかロールモデルを見出せず、実は苦しい時もある。
専業主婦のもつイメージへの違和感、職業欄の主婦に○をつけることへの抵抗感。
でも、もっと働きたいのに、とか、女性のキャリアアップなんて夢よね、、という立場ともなんだか違う。
どちらかというと今のストップを肯定して、ここで前を向きたい気持ち。
金銭に還元されない仕事、家事をしてきた人、子どもを助け合いで育ててきた前の世代の母たちへの敬意。そこからの発見、気づき、学び。
いまはそれを蓄えているところ。
日々のリズムの中で、掃除して気持ちのいい空間をつくること、お日さまの下で洗濯物を干すこと、おいしいご飯を用意すること、そうして自分含めた家族が健康でいること。
失われていく家仕事を、母や祖母、大分やネパールで見た体の動きを、なぞりたい、そうやってなるべく手足を動かして生活する姿を子どもに見せたいなとも思う。
(と偉そうにいいつつ、高層マンション立ち並ぶサイエンスシティ新竹ではめちゃ便利な暮らしなんだけどさ、、買い物はスーパーでなく市場に行ったり、ウーバーに頼らずバス使ったりして小さな抵抗。台湾の新旧、欧米とアジアの入り混じる感じはすごい。欧米生活しようと思うとアメリカ並みの物価だけど、現地のものをうまく使うと安く暮らせる。牛乳がやたら高いと思ったら牧場が少ないらしい、だから豆乳生活にシフト。小さい国だけどメイドイン台湾結構ある。九州くらいのサイズの島国、おもしろい)
海外暮らしが続くのは、羽がもがれているような気分もある。海外にいてもキャリアを描いて仕事を積み重ねることができる人もいるけど、私にはなかなか難しい。育児をしながらキャリアを重ねている周りを見ると焦る。
でも今はあえて羽を休めて、蓄えることにした。
違う国で生活するだけでそれなりに忙しいから、あまり余計なことを考えずに子育てや生活に集中できる。
子どもが小さい間にこれが続くのは、神様がくれた修行期間なのかなと思う。
ちなみに、子どもといたいのは子どものためというより私のため。子どもは親で育っても、保育園で育っても、全然どちらもいいと思う。
台湾にきてから上の子は朝8時から夕方5時まで幼稚園にいくことになり(この幼稚園も台湾では珍しい自然派教育のところでおもしろいけどまた今度)、2歳児の娘とはじめての2人きりの長い1日をゆっくり過ごしている。
子どもが2人とも、ものすごくかわいく見える。それだけでありがたい。
いつか、子どもがもう少し手を離れたら、この蓄えを家族だけでなく、もう少し広い社会にお裾分けできるようなこと、仕事、をしたいなぁとは思う。
それがどんな形の仕事なのかは、まだわからない。
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