時空間
時空間について考える。
赤ちゃんといると気持ちのいい空間、時間に敏感になる。
ある体験は何か一つのコンテンツだけで成り立っているのでないことによく気づく。
たとえば、ものすごく素晴らしい音楽があったとしても、コンサート会場が窮屈で、緊張したり我慢を要する場所だと、赤ちゃんは気持ちよくない。
その場に充分な広さがあり、人を気にせず踊ったり歩いたり、いやになったら逃げたりできる、余裕のある空間になってると、赤ちゃんはとても楽しい。
ワークショップの設計に似てる。参加の度合いのレンジを広く取ること、参加しない自由があること。
もっと言えば、家からコンサート会場までの道のりだって関わってくる。
いくら会場が心地よくても、すごい人混みをかき分けて無理して行かなきゃいけないのだとしたら、それも気持ちよくない要素のひとつ。
赤ちゃんが空間に敏感というだけじゃなくて、お母さんの緊張や疲れが赤ちゃんに伝わる、ということかもしれない。
お母さんが気持ちよくないと、赤ちゃんも気持ちよくないから。
お母さんが赤ちゃんと無理なくいれるためには、たどり着く過程も大切。
でもこういうことって赤ちゃんじゃなくてもほんとはいつでも誰でも、体では感じてることなんだと思う。
体験はコンテンツだけじゃなくって、それに付随するもの、空間や時間、過程、その場で迎える人、一緒に過ごす人、天気、タイミング、全部が合わさって成り立つんだ。
コンテンツ一つを抜き出して、常に品質保証、というのは嘘だ。
私は一回性があるパフォーミングアーツが好きだけど、実はすべての体験が、いまここにしかないものなんだろう。
映画だって美術館だって、ご飯を食べたりおしゃべりをしたり、そんなこともすべてが、時空間と合わさってできてるんだ。
体の記憶には、全部まるっと合わさって残ってくんだろう。
当たり前のことなんだけど、意識するとおもしろい。
いまの私は、一流のホールのコンサートや夜のクラブミュージックより、橙弥と一緒に近くのブラジル料理屋で聞くゆるいボサノバライブが楽しい。
全ての場をゆったりさせてバリアフリーにしよう!っていう主張ではなく、むしろ逆で。
コンサートホールで緊張しながら聴く音楽も、ただただ大音量の音に身を委ねる時間も、素敵な体験なのはよく知ってる。
ただここからしばらくの私は橙弥とゆったりいれる時空間に敏感になってたい。
そうして、自分や家族、周りの人が、気持ちのいい時空間を作れるようになりたい。
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