発達について

2018年上半期も終わって今ははや、8月。

驚きの学校は4月から定期教室をはじめた。今年の初めには思ってもみなかったことだけど、いま18人の生徒がいる。

6月いっぱいでエシカファームを退職した。日本にいれるのもあと少しだから、驚きの学校に集中してみようと思った。

手放したら、いろんなものが見えた。

同じタイミングで子どもも授かった。

いまは12週目。いろいろな変化に体を預けるので精一杯な毎日。

この半年間のこと、いろいろ書きたいけど、きりがないからやめとく。


最近、保育士の勉強を始めた。

海外にいっても働けそうだし、今の自分が向き合ってる子の中には幼児もたくさんいるから知りたいこともあるし、自分自身が子どもを育てるこの時期に勉強するのは理にかなってると思った。

教職をとるときにやったはずの発達心理学をもう一回やってみて、違和感や納得感があっておもしろい。


一番、違和感があるのは、発達には順序性と方向性がある、というとても根源的なところ。

これを納得しないと前に進めないのだけど、どうも怪しい。


ピアジェの認知発達段階。成長とともに、世界の捉え方が変わっていくという考え方。

 ものに直接触れて学んでいく感覚運動期 2-3歳

 象徴機能は発達してごっこ遊びをするけどまだ自己中心性がある 前操作期 2-7歳くらい

 脱中心化し相手の立場に立って論理的に考えられる 具体的操作期 7-12歳

 大人と同じような思考になる 形式的操作期 12歳〜

これを学んだ時に、私が子どもや発達障害の人、認知症の人に興味を持つのは、自分と認知の仕方が違うからだ、としっくりきた。

小さい人の物事の捉え方や、発し方はめちゃくちゃおもしろい。

発達障害の人の場合、この認知の仕方が小さい子に近いところがある。

だから、小さい子と同じように捉え方、発し方に興味深く感じるところがたくさんある。

それに触れるのがたまらない。

私の活動の対象が小学生くらいまでの子が多いのはそのせいなのかな、と妙に納得した。

正直中学生くらいになると自分とあんまり差がなくて、観察しておもしろいなぁというより友だちのような関わり方になる。


だったら成長しなくていいじゃん、といってしまうと極論なのだけど、、、

何かができるようになるのはいいことばかりじゃないような。

だから私はよい教育者にはなれないんだと思う。

教育や保育には、小さい人が大人より劣っているという考え方がいつもつきまとう。

それが嫌。

もちろん子どもにすくすく育ってほしいとは思うけど、、。

矛盾???


自分の子どもをもったら、こういう考えかたも変わるのだろうか。

興味深い。


成長で獲得していくものばかりではないはず。

おもしろかったのは、発達は獲得と喪失で成り立っているということも書いてあったこと。

たとえば新生児反射が消えると、自由に手足を動かせるようになる、とか。

そうだよね、と思う。

赤ちゃんは赤ちゃんのやり方で、完全な方法で世界に対面していると思う。

それは障害のある人も認知症の人も同じで。

だから、発達はどんどんよくなっていくもの、ではなくて、プラスもマイナスもなくていろんな状態に変化していくもの、と捉えたい。


でも、獲得と喪失、で調べてみても、高齢者になってもイキイキと生きる、とか、キャリアコンサルタントが考える生涯発達、とかそういう記事しか出てこなくて、なんか違う、、。

私の心理学への知識があまりに薄すぎて表面的だから、こんな風に感じるのかもしれない。

大学1年のとき、心理学を専攻しよう学とも考えたけど、かじってみてなんとなく肌に合わなくてやめた。たぶん、今感じている違和感を同じように感じ取ったのだろう。

今は、もうちょっと勉強してみたい。

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