友だちをつくる
先日息子が五歳になり、母親業もやっと6年目に。
子育てしていると、いろいろな思いや考えや技術が蓄積されていくのだけれど、言葉にすることはなかなかない。どんどん大きくなる子を前に、悩むこと考えることが変わって、自分も変わっていくから、前に考えていた大切なことも、忘れてしまいそうになる。
思いが溜まってきた時、記しておきたい。
台湾生活が半年過ぎた。秋から冬にかけては、少ししんどい時が続いた。
「孤独」という言葉が頭にこびりついて離れなかった。
新しい環境、言葉も不自由で、娘の預け先もない、ひとりになれる時間もない、やっとできたひとりの時間にもしたいことがない。出張が続いた夫と話す時間も減り、気づけば幼な子としか会話していない日が続いた。
台湾は嬉しいことに、インスタントに甘いもの、美味しいものが近くにいっぱいある。お茶やお菓子やコーヒーなどなど。それで少しホッとできるのだけど、だんだん、甘いものでは満たされない悲しさが積もった。お金を使うのでは満たされなかった。
娘を見るにも息が詰まった。
憂鬱でぼんやりソファに埋まっているときほど「ママ遊んで」「ママとやる」の連呼。気力がないから家事が回らなくて、家からなかなか出られない。でも早く家から出ないと、このまま家にいたらもっとまずい。やっとの思いで公園に行っても図書館に行っても、誰とも言葉を交わさず、毎日が終わっていく、、。心も体も疲れると、暴力的に子供に当たることもたくさんあった。虐待という言葉が頭をうろうろした。
もう一人では無理だから、娘を預けようと近くの小さな保育所に見学に行って申請書までもらった。ワーキングマザーが多い台湾の保育所は、どこも朝から夜までの一日預かり。本当は幼稚園に入るまで、自分で育てたかったけど、このままでは子どもにもよくないと思った。台湾に来て、せっかくゆっくり娘と向き合えると思ったのに、敗北した気持ちだった。
子育てをしていくには、仲間が必要と切に思った。でも、どうすればいいかわからなかった。
ふと朝NHKラジオをつけると、介護民俗学の六車由美さんが出ていて「それでも私は介護の仕事を続けていく」という著書について話していた。
高齢者施設では「カッパを見たことがある」という人によく出会うそう。普通の人なら、流してしまうような突飛な話だけど、介護現場を民俗学的な視点で見ている六車さんは、詳しく聞いて、その場所に実際行ってみたりする。そんな話の最後に「カッパを見た」という話を興味を持っておもしろがれる環境かどうかが大切と仰っていて、とても頷けた。「それでも」続けていく、という言葉にあるように、介護の仕事は大変な日常の連続だろう。その日常をおもしろく続けていくには、民俗学的視点が、むしろ必要なのではないかと思った。介護の現場を民俗学的視点でみると面白い!とも言えるけれども、同時に、民俗学的視点があるからこそ、介護の仕事を続けていける、のではないか。その視点に救われるのではないかと。
アーティストと訪れた福祉施設でのワークショップを思い出した。介護、ケアの場にアーティストという全く違う視点が入ることで、日常が変わる、と仰ってくださった職員さんがいた。
アーティストの視点が、日常に光をさす、勇気づける。その言葉がいま身に染みる。私のこの育児の、誤解を恐れずに言えば、ものすごく甘美で恐ろしく退屈な毎日も、アーティストと一緒に見てみたいな、と思う。アーティスト、というのは一つの例で、違う領域の人と共に、おもしろがって見てみたいのだ。
「育児は時に我を忘れるほど忙しく、そして脳が溶けるほど暇なものです」
これは「母の友」12月号のこばやしみどりさんの言葉。これもとてもわかる。子育ては「見る」時間がとても長い。
「塗り絵をしている子をずっと見る。粘土で蛇を作る子をずっと見る」
最も大切とされる、この「見る」時間、だけど、修行のように、暇。
こばやしさんは、「見る」時間にそっとラジオをつけたそう。
「たぶん誰かの声を聞くことは、孤独と相性がいいと思うんです。私の育児のスタートには孤独がセットでついて来ました。世の中に取り残されたような感覚がした時、誰かの「声」に救われて、ここまで母としてやってこられた」
私も育児をはじめてからラジオを聞くようになった。家事をしている時、ラジオから流れる人の声を聞くと世界との繋がりを感じられて、気が楽になった。
昨日も明日もなく「いま」しかない子どもに向き合う時間。
本当は、とても短い、ある一時期の貴重な時間なのだけれども、渦中にいると終わらない永遠のようなだらだらとしたものに感じる。あまりに永すぎて、時に不安になる。
その中で起きるいろいろなことを、光を当てて受け止めるのは、自分ひとりでは難しい。
一緒に見守る、誰かが必要。
そんな風に思って煮詰まっていた時、5年ぶりに映画館に行って一人で「君たちはどう生きるか」を見た。主人公の「友だちを作ります」という言葉が響いた。
子供に「ママ、友だちがいなくて、さみしい。日本に帰りたい」とこぼしたことがあった。
息子「僕は幼稚園に友だちいるよ」
娘「私も〇〇ちゃんがいる」
息子「ママにも〇〇ちゃんのママがいるじゃん」
と言われた。確かにそうだった。
言葉も通じない中で、ピエロのようにボディランゲージやちょっかいを駆使して、逞しく、友だち、そして自分の居場所を作っている、四歳の息子に勇気づけられた。うだうだしている自分が恥ずかしくなった。
ママ友、って難しい。どこまで自分の本性を出したらいいのか、よくわからない。
それでも、自分から開いていかなきゃ、友だちなんてできない。
はじめからなかよしな友だちなわけでなくて、いろんな時間を一緒に過ごして、大切な人になっていくんだよね、、。
ものすごい青臭いけど、そんなことを三十七歳にもなって思った。
次の週、別々に出会った母子数組に声をかけて、小さな集まりをした。
公園で集まって、芝生でちょっとおもしろいことをして、ご飯を買って家で一緒に食べて、おうち遊びをする、というゆるい集まり。台湾の人も日本の人もいて、かたことの中国語と日本語が行き交う。
やってみると、とても楽しい。自分がやっていた仕事の話も、初めてしてみた。
その後、だいたい毎週金曜日と続いていて、なんだかんだもう5回目。毎回何をするか考えるのも楽しいし、娘もいろいろな準備を一緒にやってくれて心強い。
この「驚喜學校」をはじめてから、いろいろなことが動き出した。
アイデアを出すと何かを返してくれる人、いろいろと心遣いをしてくれる人、記録写真を撮ってくれる人、ただ会えるのを楽しみに来てくれる人。集まりを作っていく間に、親も子もいろいろな一面が見え、関係が少しずつ深まり、新しい繋がりも生まれはじめた。
そんなに特別なことをするのでなくてもいい。ただいつものブロック、いつもの粘土で全然違うものを作る親と子を見るのが楽しい。はじまったばかりでどうなっていくかわからない、卵のような活動だけど、これからが楽しみ。
娘を保育所に預けるのも、やめた。娘がいるからこそ、この繋がりができたと思うと、どうして手放そうと思ったのか、不思議なくらい。それくらい、追い詰められた気持ちだった。
いろいろ書いたけど、言いたいのは、友だちが大切、ということ、、、笑。
あれは違うこれもちょっと違う、とこだわりが強くてへそまがりな自分から、一歩踏み出して、自分の世界が少し広がると、見える景色も違う。
孤独となかよくしつつ、人と繋がっていくことで、前に進める。
そんな小学生の作文のようなことを、真面目に書いてしまう、母業6年目、三十七歳です。
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